lattegoto’s diary

アニメや漫画の考察を書いていきます。

漫画やアニメの考察を、「元国語の教材制作者」としての知見から掲載します。
なお、ネタバレがあるのでご注意ください。
当面は「やがて君になる」の原作の考察を更新します。

やがて君になる 最終話を予想してみた

 みなさん、こんにちは!!

 

 この前、久しぶりに前職の同僚たちと飲み交わし、やがて君になるの考察会を行ったので、議題に上がったことを書き記します。

 

 今回は、

1巻の見どころ

最終話の予想

 を中心に記載します。

 メインは「最終話の予想」です。現在の侑を見ていると、複雑な心境になってしまう結果となりました。

 

 ちなみに考察会に参加したメンバーは、私以外現役の国語の教材制作者であるため、読解力には一定の信頼がおけると思います。

筆者:元国語の教材制作者

   アニメ全話視聴済み→原作全巻読破済み 

A氏:現役の国語の教材制作者(メンバーの中で一番のベテラン)

   原作全巻読破済み(アニメ未視聴)

B氏:現役の国語の教材制作責任者

   原作1巻読破済み(アニメ未視聴)

  考察会に至った経緯は、「やが君」にはまった私がもっと深く読みたくて、知人であるA・B両氏に作品を勧めて会を開くに至ったというものです。

 私はアニメから入ったくちですが、A・B両氏はともに原作オンリーだったため、入り口が違うと作品の見方も異なる、という点に気づきました。

 なお、蛇足となりますが、開催場所は「百合の聖地 新百合ヶ丘(←勝手に名付けました)です。

1巻の見どころ

 参加したメンバーのうち1名が1巻までしか読破していないため、必然的に話題は限定されました。

 到着するなりお2人とも「やが君」の魅力をとうとうと語りだしたのが、良い意味での裏切りでした。というのも、お2人とも百合漫画を普段から読むタイプではなかったためもっと淡泊な反応が返ってくると予想していたからです。

 が、良い意味で予測が裏切られ、やが君のもつ底力をあらためて思い知らされました。

 なおA・B両氏とも女性です。

 話を進める中で興味深かったのは以下の点です。

やが君の魅力

 両氏がやが君の魅力に関して、真っ先に口にしたのはコマ割り全体構成細かい心理描写の緻密さです。

「絵がコマ割り含めてすごく好き」「作者すごい!」

「登場人物が魅力的」

「心理描写が丁寧」

 と大絶賛でした。特にコマ割りに関して真っ先に口にされていたのは、アニメから入った私としては新鮮でした。

 いや、でもそりゃそうですよね。だってコマ割り、尋常じゃないですもん。

 

 ちなみにA氏が、第1話を読んでいるときに感嘆し、「これは全巻読み進めよう」と決意されたコマがあるのですが、どこだかわかりますか?

 

 

 

 答えは、P.17の「朱里・こよみと侑の机が離れて配置されているコマ」です。

 A氏は「やが君を百合漫画とは認識せず読み進めていた」とのこと。そのため、当初は朱里・こよみ・侑の関係性に注目していたわけです。そこで「他人とは違う」という侑の孤独感・寂しさを会話ではなく、離れた机の構図でビシッと表現しているこのコマにしびれたとのことでした。

 こちらに関しては、「やが君は百合アニメである」という先入観のもと、さらにはアニメから作品に入った私とでは、印象の濃度がかなり異なっていました。

作品の楽しみ方(原作かアニメか)

 上記の話から、私はアニメ版をA氏に勧めたのですが、断られました。

 理由としては「アニメは、キャラクターの声や行間が補完されてしまうため、想像できる余地が限定されてしまうから」というものでした。

 この意見も、普段アニメを見ている私にしてみると新たな気づきとなりました。と同時に、私自身はもう原作を初見のつもりで見ることができないんだ、という事実に気づき、寂しさを感じました。

 とはいえ、アニメ・漫画・小説の各媒体のもつ可能性をより一層強く感じたのも事実です。

 A氏のおっしゃる通り、漫画ならではのメリット・アニメならではのデメリットは確かにあるでしょう。でも逆に、アニメだからこそ表現できることもあるはずです。媒体によって表現の得手不得手は異なるわけです。

 そしてやが君はどちらの媒体も非常に優れた評価がなされていて、だからこそ原作だけ、あるいはアニメだけ、という方はぜひとも両方の媒体を鑑賞して頂きたいな、と思いました。

 最後になりますが、作品の楽しみ方は自由なため、各人の環境や嗜好にあわせるのが最適解かと思います!

佐伯沙弥香の存在

 お2人とも、1巻を読んだ時点で興味を持ったのは沙弥香だったとのこと。

「第1巻でこよみと朱里の名前は覚えていなかったけど、沙弥香の名前は覚えていた」

「明らかに今後キーパーソンとなる存在として際立って描かれていた」

とのことです。

 本作を百合漫画として読み進めたときに、どうしても気になってしまうのは燈子と侑の存在ですが、前提の知識がなく読むと沙弥香に注目せざるをえないというのは、この後の考察にも関わる大発見でした。

 

最終話の予想

 いよいよ今回のメインとなる、やが君最終話の予想です。

 あくまでも6巻までを読んだうえでの考察となります。

 ■各登場人物のゴール

 最終話を考えるために、まず考察しておきたいのは、各登場人物のゴールです。

 各々が何を目指しているのか、がわかれば最終話の予想もつきやすくなるからです。

 6巻の時点で、各人物のゴールをざっくりとまとめると以下のようになるでしょう。

 侑:「特別」を知りたい

 燈子:姉(演じている自分)からの解放

 沙弥香:燈子への想いの実現

 6巻の時点(あるいは5巻まで)では、侑と燈子の利害が完全に一しているため、両者は互いに求めあっているわけです。

 ■燈子と侑の未来

 しかし、ここで一つの疑問が生じます。

 もし、燈子の「姉から解放される」という願いが叶ったとしましょう。そのときに、侑と燈子の利害は完全に一致するのか、というとそうではありません。

 侑は燈子を好きになることで、「特別」という意味を知りかけてはいますが、たまたま最初の相手が燈子だっただけで、燈子を想う必然性はなくなります。

 侑は沙弥香のように女性にしか特別な気持ちを持てない、ということはないため、特別な異性を見つけることはできるかもしれません。つまり沙弥香よりも燈子を想う必然性は薄いわけです。(もちろん人の心はこんなにも単純ではないので、簡単に割り切れるものではないと思いますが。)

 一方で燈子はどうでしょう。そもそもの始まりとして、燈子は侑に恋したかったわけではありません。「誰も特別だと思わない」という侑だからこそ、一時的に姉から解放される安心感を得たくて近づいたわけです。

 もし、燈子がきちんと立ち直り、姉から解放され、自分自身の意思で生きることができるようになったら、それでも侑を求めるのでしょうか?

 立ち直った燈子は人の好意を受け入れることができるでしょう。それは異性であるかもしれませんし、沙弥香であるかもしれません。

 つまり三者のなかで、特定の相手に執着しているのは沙弥香だけだともいえます。

 ■最終話

 ここまでをふまえて、出た結論が、燈子と沙弥香のカップリングです。

 根拠は上記の他にも以下があります。

 ①1巻最後の侑の独白

 ②劇中における三者の役割

 ③都の存在

 

 ①と②は根拠が希薄です。

 まず①は

「『好き』はまだわたしのものにはならないけれど この人の近くにいようと決めた そのためにわたしが諦めなければいけないものに このときはまだ気付かなかったんだ」

 という侑の独白を指します。

 私はこれまで、上記の独白は、6巻までにおける侑と燈子の関係性について述べていると思っていました。

 侑が燈子の近くにいるためには燈子を「特別だと思ってはいけない」ということについてです。

 しかし、この侑の独白はもっと中長期的な意味と捉えなおすこともできます。つまり将来にわたっても侑が燈子の近くにいるためには、常に燈子を諦め続けなければならない、と。

 一方で、この解釈が現時点では根拠として弱いのも否めません。

 

 ②は、劇中における三者の役割である「燈子と沙弥香が恋人」「侑は燈子を治癒する存在」という関係性がそのまま未来像を示しているというものです。

 こちらも堂島君や槙君が、必ずしも現実とリンクしていないため、根拠としては希薄です。

 ただし、必ずしも全員が劇中とリンクする必要はなく、侑と燈子と沙弥香の三者だけがリンクしている、という可能性はなきにしもあらずかとも思います。

 

 そして、現時点でもっとも意味深なのが③の存在です。そもそもなぜ都という人物は作中で描かれたのでしょうか。現時点では、理子と都は同性愛の成功例の象徴として持ち出されたと考えらます。

 しかし、前述のとおり、主要人物のなかで同性愛に対する必然性を抱えているのは沙弥香のみです。さらには都が沙弥香を応援している向きがあるのもポイントです。

 

 A氏は

「やが君は、少女のときに起こりえる性別の境界性をふっと超えてしまう瞬間を描いている」

「私にもそういう時期があったからわかる」

「その後は男性を好きになった」

「だから侑も将来は男性を好きになってもおかしくない」

「ただし沙弥香は女性が好きなんだろうね」

という趣旨のことを述べていました。

 

 今回の議論は、考察会のメンバーが各登場人物を愛し、将来を案じてしたものです。

 その前提での議論であるため、「沙弥香になんとか幸せになってほしい」という感情論に引っ張られた可能性は否めません。

 ただし、侑と燈子は他の誰かとの幸せが想像できても、沙弥香だけはそれがし難かったのも事実です。

 とはいえ、現状ではこれ以上の考察をしても単なる妄想となってしまいます。

 私も心の中では侑と燈子が結ばれることを望んでしまっています。

 ただ一方で、人生の選択では「これが正解だ」という明確なものはないでしょうし、やが君においても3人が納得するという行為を経ることが大事なのかもしれないと思いました。

 そして、その「納得する」、という行為を経て各人が成長していく未来を描ければ、実は誰と誰が結ばれるかという結果はあまり重要ではないのかもしれません。

 

 

2019/3/31/ 初校UP